にっぽんのじんじゃ

これまでに訪れた神社で写真(携帯だけど)に撮ったところー
最近更新のものは黄色の文字で


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畿内(山城国、大和国、河内国、和泉国、摂津国):
古代大和朝廷の勢力圏内。
京都府1 山城国。葛野郡。
松尾大社、月読神社衣手神社
京都府2 山城国。愛宕郡。
賀茂別雷神社、賀茂御祖神社、貴船神社、鞍馬寺。
京都府3 山城国。宇治郡。
宇治神社、宇治上神社、宇治彼方神社、橋姫神社、許波多神社ほか。
京都府4 山城国。久世郡、綴喜郡。
水主神社、樺井月神社、石清水八幡宮
奈良県1 奈良県北~西部。大和国添上郡、添下郡、平群郡、廣瀬郡。
春日大社、龍田大社、廣瀬大社、往馬大社、矢田坐久志玉比古神社、八所御霊神社。
奈良県2-1 奈良県西部~南部。大和国葛上郡、葛下郡、忍海郡。
葛木御歳神社、葛城一言主神社、葛木水分神社、高鴨神社、
葛木倭文坐天羽雷命神社、葛木坐火雷神社。
奈良県2-2 奈良県西部~南部。大和国宇智郡、吉野郡。
吉野水分神社、大名持神社、丹生川上神社、吉野神宮。
奈良県3-1 奈良県東南部。大和国宇陀郡。
宇太水分神社、阿紀神社、室生龍穴神社、八咫烏神社、御杖神社、篠畑神社。
奈良県3-2 奈良県東部。大和国城上郡。
大神神社、狭井神社、檜原神社、志貴御県坐神社。
奈良県3-3 奈良県東部。大和国城下郡。
村屋坐弥富都比売神社、池坐朝霧黄幡比売神社、岐多志太神社、
鏡作坐天照御魂神社、鏡作麻気神社、鏡作伊多神社。
奈良県4-1-1 奈良県中央部。大和国高市郡1。
河俣神社、古宮遺跡、豊浦寺跡、甘樫坐神社、飛鳥寺、
飛鳥坐神社、酒船石遺跡。
奈良県4-1-2 奈良県中央部。大和国高市郡2。
伝飛鳥板蓋宮跡、飛鳥京跡苑池遺構、川原寺跡、橘寺、
石舞台古墳、飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社。
奈良県4-2 奈良県中央部。大和国十市郡。
天香山神社、畝尾都多本神社、山田寺跡。
奈良県5 奈良県東北部。大和国山辺郡。
石上神宮、大和神社、都祁水分神社、都祁山口神社。
大阪府1-1 摂津国。住吉郡。
住吉大社とその摂末社、
大依羅神社、中臣須牟地神社、神須牟地神社、生根神社。
大阪府1-2 摂津国。西生(西成)郡。
生國魂神社、今宮戎神社、田蓑神社
兵庫県東南部 摂津国。武庫郡。
廣田神社
大阪府2 河内国。
恩智神社、天照大神高座神社、叡福寺、弘川寺。
大阪府3 和泉国。
泉穴師神社、聖神社、積川神社、日根神社、泉井上神社。
東海道(伊賀国、伊勢国、志摩国、尾張国、参河国、遠江国、駿河国、伊豆国、
甲斐国、相模国、武蔵国、安房国、上総国、下総国、常陸国):

基本的に、太平洋に面した海岸線沿いの諸国。三重県~茨城県。
三重県1 伊勢の神宮。
正宮・別宮・摂社・末社・所管社の計125社、
および神宮に深いかかわりのある場所等。
三重県2 伊賀国の神社。
敢国神社、神戸神社、大村神社、名居神社。
三重県3 伊勢国。度会郡、多気郡、飯野郡。
猿田彦神社、二見興玉神社、松下社
佐那神社、櫛田神社、竹神社、魚見神社、神山神社。
三重県4 伊勢国。桑名郡、鈴鹿郡、壱志郡。
多度大社、椿大神社、阿射加神社、北畠神社。
三重県5 志摩国。
浦神社、海士潜女神社、畔蛸神社、礒部神社
愛知県1 尾張国。中嶋郡、海部郡。
真清田神社、尾張大国霊神社、津島神社。
愛知県2 尾張国。丹羽郡。
大縣神社、田縣神社、針綱神社。
静岡県 駿河国。富士郡。
富士山本宮浅間大社。

神奈川県 相模国。鎌倉郡。
鶴岡八幡宮、鎌倉宮。
埼玉県 武蔵国。足立郡。
氷川神社

千葉県 下総国。香取郡。
香取神宮。
茨城県1 常陸国。筑波郡。
筑波山神社。
茨城県2 常陸国。鹿島郡。
鹿島神宮、息栖神社、大洗磯前神社。
茨城県3 常陸国。那珂郡、久慈郡。
酒列磯前神社、静神社。
東山道(近江国、美濃国、飛騨国、信濃国、上野国、下野国、陸奥国、出羽国):
琵琶湖から本州ど真ん中を突っ切って東北地方に到る。
滋賀県1 近江国。坂田郡。
長浜八幡宮、豊国神社、伊夫岐神社。
滋賀県2 近江国。犬上郡。
多賀大社、阿自岐神社。
滋賀県3 近江国。甲賀郡。
垂水斎王頓宮。
岐阜県1 美濃国。不破郡。
南宮大社、大領神社、伊富岐神社。
岐阜県2 飛騨国。大野郡。
水無神社、桜山八幡宮、日枝神社、白川八幡神社、鳩谷八幡神社、飯島八幡神社
長野県1 信濃国。諏方郡。
諏訪大社。
長野県2 信濃国。安曇郡。
穂高神社。
宮城県 陸奥国。宮城郡、牡鹿郡、宮城郡。
志波彦神社・鹽竈神社、鹿島御児神社
北陸道(若狭国、越前国、加賀国、能登国、越中国、越後国、佐渡国):
日本海側、福井県から新潟県まで。
福井県 若狭国。遠敷郡。
若狭彦神社。若狭神宮寺。
石川県 加賀国。石川郡。
白山比咩神社。
富山県 越中国。砺波郡、新川郡。
高瀬神社、雄山神社。
山陰道(丹波国、丹後国、但馬国、因幡国、伯耆国、出雲国、石見国、隠岐国):
京都府・兵庫県の北部から島根県まで。
京都府中部 丹波国。天田郡。
生野神社。
京都府北部1 丹後国。与謝郡。
籠神社、浦嶋神社、大虫神社、小虫神社。
京都府北部2 丹後国。竹野郡、丹波郡。
竹野神社、奈具神社、藤社神社、比沼麻奈為神社、大宮売神社。
鳥取県西部 伯耆国。会見郡、汗入郡。
大神山神社、粟島神社、大神山神社(奥宮)、大山寺
島根県1-1 出雲国。意宇郡。
神魂神社、六所神社、意宇の杜、眞名井神社、揖屋神社、伊賦夜坂
島根県1-1.2 出雲国。意宇郡の2。
熊野大社、熊野大社上の宮跡玉作湯神社、宇留布神社。
島根県1-1.3 出雲国。能義郡。
能義神社、山狭神社、支布佐神社
島根県1-2 出雲国。島根郡。
美保神社。
島根県1-3 出雲国。秋鹿郡、楯縫郡。
佐太神社、恵曇神社、多太神社、
玖譚神社、久多美神社、佐香神社
島根県1-4.1 出雲国。出雲郡。
出雲大社とその周辺の摂末社等
阿須岐神社、日御碕神社、因佐神社、伊努神社
曾枳能夜神社、立虫神社・万九千神社、荒神谷遺跡。
島根県1-4.2 出雲国。出雲郡。
韓竈神社、鰐淵寺猪目洞窟
島根県1-5 出雲国。仁多郡。
伊賀多気神社、三澤神社、大原神社、
おろちループ&出雲坂根駅。
島根県1-6.1 出雲国。大原郡。
斐伊神社、来次神社、海潮神社、須我神社、阿用神社。
島根県1-6.2 出雲国。大原郡2。
神原神社、御代神社、八口神社、宇能遅神社、加茂神社、
矢櫃神社跡、加茂岩倉遺跡。
島根県2 石見国。
物部神社、城上神社
山陽道(播磨国、美作国、備前国、備中国、備後国、安芸国、周防国、長門国):
兵庫県南部から山口県まで。
兵庫県南部1 明石郡。
住吉神社、海神社。
兵庫県南部2 賀(加)古郡。
日岡神社、生石神社
兵庫県南部3 飾磨郡。
射楯兵主神社。
兵庫県南部4 揖保郡。
粒坐天照神社、夜比良神社。
兵庫県南部5 宍粟郡。
伊和神社、御形神社
岡山県1-1 備中国。賀陽郡。
吉備津神社、矢喰神社、鯉喰神社、楯築神社、真宮神社、
鬼城山、造山古墳、作山古墳、備中高松城跡、
魔法神社。
岡山県1-2 備中国。後月郡。
諏訪神社、袖神稲荷大明神、那須与一公墳。
岡山県2-1 備前国。御野郡、邑久郡。
吉備津彦神社、牛窓神社。
岡山県2-2 備前国。赤坂郡。
石上坐布都魂神社
広島県1 安芸国。佐伯郡。
厳島神社、速谷神社、地御前神社。
広島県2-1 備後国。品治郡、芦田郡。
吉備津神社、素盞嗚神社、甘南備神社、小野神社、高龗神社、南宮神社。
広島県2-2 備後国。安那郡。
天別豊姫神社、多祁伊奈太伎佐耶布都神社。
広島県2-3 備後国。深津郡。
福山八幡宮、蔵王八幡神社
広島県2-4-1 備後国。沼隈郡の1。
沼名前神社、高諸神社、潮崎神社、沖ノ観音。
広島県2-4-2 備後国。沼隈郡の2。
通盛神社、阿伏兎観音、厳島神社、寄ノ宮八幡宮。
広島県2-5 備後国。御調郡。
御調八幡宮、久井稲生神社。
広島県2-6 備後国。世羅郡、甲奴郡。
須佐神社、武塔神社
南海道(紀伊国、淡路国、阿波国、讃岐国、伊予国、土佐国):
和歌山県、淡路島、四国。
和歌山県1 紀伊国名草郡。
日前神宮・国懸神宮、竈山神社、伊太祁曽神社、淡嶋神社。
和歌山県2 紀伊国牟婁郡。
熊野三山、花の窟神社(三重県熊野市)。
和歌山県3 紀伊国伊都郡。
丹生都比売神社、隅田八幡神社
愛媛県 伊予国。越智郡。
大山祇神社。
西海道(筑前国、筑後国、豊前国、豊後国、肥前国、肥後国、日向国、
大隅国、薩摩国、壱岐嶋、対馬嶋):

壱岐、対馬、九州。平安期の日本国領土南端は屋久島・種子島まで。
福岡県 筑前国。
太宰府天満宮。
長崎県 肥前国。
諏訪神社
北海道、沖縄県
その他

*国分けは『延喜式』神名式(神名帳)による。
ちなみに神名式記載の日本最南端神社は、大隅国・馭謨郡(ごむのこおり)、益救神社(やくのかみのやしろ)。
社名の通り、屋久島に鎮座している。
最北端は、陸奥国・斯波郡(しばのこおり)、志賀理和気神社(しがりわけのかみのやしろ)。
現在の岩手県紫波郡紫波町に鎮座。
現鎮座地でいうと出羽国・山本郡の副川神社(そえがわのかみのやしろ)が秋田県南秋田郡八郎潟町に鎮座しており最北だが、
社伝と旧郡制の領域から鎮座当初はもっと南の秋田県大仙市、獄六所神社の社地に鎮座していたと考えられている。
また副川神社の論社には秋田市添川の添川神明社があり、志賀理和気神社より北にあるが、大勢を占める説ではない。
よって、現在確定している式内社の中では志賀理和気神社が最北となる。

もちろん現在は北海道から沖縄、外国にまで神社が鎮座しているが、さすがにそこまでは行けない・・・たぶん。


*ここで多用される言葉についての説明*

*神社
じんじゃ。今では本殿などの神の鎮まる建物を指すと思われているが、本来はそうではなかった。
昔は「かみのやしろ」といい、「やしろ」とは、

「や」は「屋」にあたり、建物
「しろ」は、「のりしろ」などのように、何かの用途のための一定の区域をさす言葉

つまり「神の建物を建てるための場所」という、「建物」ではなく「場所」を示す言葉だった。
昔の神祭りは、神が隠れているとされた神奈備(神隠り【かむなばり】→神奈備【かむなび】)の山や森、
そして神を招くに相応しい聖域(春日の野など)に神籬(ひもろき)を立てたり臨時の社殿を建てたりして祭りを行い、
その後はそれらを撤去してもとの自然の風景に戻していたと思われる。
それが仏教伝来に伴い、寺院にならって恒久的な社殿を造るようになっていったようだ。
『万葉集』では「もり」という和語に「神社」「社」という漢語を当てており、
当時の人は、神を祀る場所は森と不可分であると考えていたことがわかる。
つまり神社とは建物だけを指すのではなく、「鎮守の森」をなす神域一帯のことであるといえる。
仏教寺院も、本来必ずしもその周囲に緑は必要としていなかった(インドや中国で見られる石窟寺院など)が、
日本では森や庭園など、緑に囲まれている。
神聖な場所には緑が必須、という日本人の思想が反映されているのだろう。

「宮」(みや)については、漢字を当てるなら「御屋」であり、建物に神を祀っていたと思われる。
最古の正史である『日本書紀』では、「神宮(かみのみや)」と呼ばれているのは伊勢神宮と石上神宮のみ。
伊勢神宮は稲倉から発展した社殿を持っており、石上神宮は武器庫としての機能を持っていた。
「何かを納める」ためにつくられた神社は最初から社殿を持っていた、ということになるだろうか。


*『延喜式』『式内社』『式内名神大社』
隋と国交を開いてより日本は律令制を輸入して国内統治に用いようとし、
刑部親王や藤原不比等を中心にして大宝元年に完成された『大宝律令』、そしてそれを修正した『養老律令』をもとにして統治を行った。
「律」は犯罪とそれへの罰への規定。刑法にあたる。
「令」はそれ以外のすべての法律。
律令を制定したのち、時代の変遷に伴い内容に変更が加えられたり新しく追加したりすることがあったが、
それをまとめたものが「格」(きゃく)と呼ばれる。
「律」「令」の条文は簡素なので、その実行に対する5W1Hがどういうものなのかはそこからは読み取れない。
そのため、誰がいつどのような道具を用意してどのように行うか、などの律令の施行細則を示したものが必要となり、
それが「式」(しき)と呼ばれる。
日本では『養老律令』ののちそれを修正した新しい律令を作ることをしなかったため
(建前では、養老律令は明治維新の時まで日本を統治する法律でありつづけていた)、
「格・式」の量がどんどん増えていった。
そのため、平安時代に何度かそれらをまとめる作業が行われ、

『弘仁格式』(819年までの格式を集成)
『貞観格式』(871年完成)
『延喜格式』(927年完成。872年以降の格式に加えて弘仁・貞観の格式を編集、再構成したもの)

が編纂された。弘仁・貞観・延喜は編纂時の元号。
『延喜式』とは『延喜格式』の半分をなすもので、律令の施行細則が細かに記されている。
そのうちの巻一~巻十は神祇官に関する式が記されており、その巻九・巻十「神名式」は通称「神名帳」(じんみょうちょう)と呼ばれ、
毎年二月に行われる「祈年祭」(としごいのまつり、きねんさい。五穀豊穣を祈る春の祭り。「とし」は稲の実りを意味する言葉)
において朝廷が班幣(幣帛をわかつこと)を行う全国の神社(2861社、3132座)が記されている。
(当初は該当神社の神職がみな上京して幣帛を受け取っていたが、いくらなんでも無理があるので、
まもなく遠隔地の神社のほとんどはその国の国司から幣帛を受け取ることとなった)
「延喜式内社」「式内社」はここに名前が載っている神社のことをいい、この時代にはすでにあった歴史の古い神社ということで、
一種の社格のように扱われている。
「式内名神大社」とは、国家の大事にあたって行われた臨時祭である「名神祭」が行われた神社のこと。
特に霊験著しい神は「名神(みょうじん)」と呼ばれた。
式内社には「大社」「小社」の別があったが、名神祭が行われる神社はすべて大社であるので、「名神大社」と呼ばれる。

なぜこういったことが法律に載っているのかといえば、律令制においては、神の祭祀も国家主導で行われていたから。
養老律令は(幕府の出す武家の規則により有名無実化はしていたものの)名目的には明治維新まで生きていたので、
明治になってそれまで民間のものだった神社が「国家神道」になった、という認識は正確ではなく、
律令制定よりずっと神社は国家のものであった、ということもできる。
さらに『日本書紀』には、第十代崇神天皇が「天社・国社(あまつやしろ・くにつやしろ)を定めた」とあり、
公的には神社の創祀においても朝廷(国)がかかわっていた、というスタンスをとっている。
神社は、個人の祈願も受け入れるが基本的には公的な祈りの場である、というのが日本古来の認識であったが、
占領軍の指導による政教分離政策のため、その図式は崩されてしまった。
自分らは大統領就任時に聖書に手をあてて神に誓ったり、国王が国教会の首長やったりしてるくせに、
日本ではそういうことしちゃダメとはよく言いやがったものだと思う。

「延喜式神名帳」に載っている神社がその頃あったすべての神社ではない。
祈年祭を行うには不充分もしくは適当でないと判断された神社、仏を祀っていると認識されていたところなどは外されている。
「延喜式神名帳」には名が見えないが、
『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』
の日本の六つの正史(「六国史」と呼ばれる。この六書で神代から第58代光孝天皇、887年までをフォロー。これ以降の国史編纂は頓挫した)
に名が見える神社もあり、これらは「国史見在社」と呼ばれてこれも社格のように扱われる。
もちろん、これ以外にもたくさんの神社があったことは間違いない。
ひとつの村に一社は鎮守の神社があっただろうし、現在でも約8万の神社が全国にあるのだから
(明治初年には20万社はあったらしい。それで明治末年に政府は神社管理のため合祀による神社整理を行い、神社の数を減らした)。
ただ、式内社や国史見在社の中には、戦国時代の混乱などによって没落して祭祀が絶えてしまったもの、
鎮座地がわからなくなっているものも多い(ここではないか、と比定は行われているが、意見が分かれているところも多い。これを論社という)。

*一宮
律令制における地方長官である国司が赴任してまず行うことは、国内の神社をすべて参拝して回ることだった(国司神拝)。
このとき、むやみやたらに参拝して回るのではなく、一定の順番によって回っていくことが徐々に慣例となっていった。
その中で一番最初に参拝する神社、これが「一宮」と呼ばれ、二番目が「二宮」、三番目が「三宮」・・・と呼ばれるようになった。
最初に参拝するのは、たいていは国府の近くにある神社、あるいは国内でもっとも名声の高い神社であった。
これがのちには「国内第一の神社」として社格のように扱われるようになった。

一宮は、ほとんどは国内でもっとも名のある神社となっているが、
尾張国においては、草薙剣を祀る熱田神宮は三宮で、一宮は真清田神社である。
これは国府に近いことと、真清田神社がこの地方の豪族であった尾張氏の祖を祀る神社であったからだろう。
また伊勢国一宮は椿大神社(つばきおおかみのやしろ。猿田彦大神を祀る)だが、
これは伊勢の神宮が天皇しか祭りを行えない「私幣禁断」の場所であり(皇太子・三后ですら天皇の許しがなければ奉幣が行えなかった)、
国司ごときが参拝できるところではなかったから。

律令制が崩れると、「一宮」は民間の認識によってその時々の国内で一番隆盛な神社を指すようになったので、
長い時代の間に一国のうちに何社もの一宮が生まれた国もある。

時代が下ると、国司も国内を回って神社参拝をするのがメンドくなってきたので、
国府の隣地に国内の神社をまとめて勧請してきて、ここに参拝することでいっぺんに用事を済ませるようにしたところもあった。
これが「総社」のおこり。

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