これまでに訪れた神社で写真(携帯だけど)に撮ったところー
志摩国:
(鳥羽市、志摩市)
志摩国は、大化の改新以前には嶋津国(しまつくに)という一国で、
『先代旧事本紀』国造本紀では、
嶋津国造。
志賀高穴穂宮朝(第十三代成務天皇治世)の世、
出雲臣の祖佐比禰足尼(さひねのすくね)の孫、出雲笠夜命(いづものかさやのみこと)を国造に定め賜ふ。
とあり、出雲国造の一族が治める地だった。
倭姫命が皇大神宮を定めた時、志摩の地を経巡って、大神のための御贄処(みにへどころ)を定めた。
また、志摩は朝廷へ御贄の海産物を貢進する「御食国(みけつくに)」となった。
初代国造がなぜ出雲氏一族になったのか不思議な気もするが、
伊勢の土着神として伊勢国や伊賀国の風土記逸文にみえる伊勢津彦命は出雲の神の子であって別名を出雲建子命、天櫛玉命というとし、
『延暦儀式帳』では神櫛玉命の御子を大歳神であるとして、大歳神は神宮の多くの摂末社の祭神の親神とされている。
また、『倭姫命世紀』による皇大神宮鎮座伝承では、伊勢津彦命は倭姫命を出迎えて御饗をたてまつっている。
これらによると、古くより伊勢志摩にも出雲にルーツをもつ人々が多く住んでいたということになるだろう。
浦神社 | 海士潜女神社 | 畔蛸神社 | 礒部神社 | |
鳥羽市浦村町今浦、
鳥羽・志摩間の海沿いを走る「パールロード」の入口、生浦湾に鎮座する。
生浦湾は海産物の豊富さからかなり早くから人が住み着いていたといわれ、
現在は三重県内屈指の牡蠣の養殖地として知られている。
また、この一帯は麻生浦(をふのうら)として古来その絶景をうたわれており、
多くの歌人がここを題材に歌を詠んでいる。
さくらあさの をふの浦かぜ春吹けば 霞をわくる浪の初花 藤原定家
(「桜麻〔さくらあさ、さくらを〕の」は「をふ」にかかる枕詞。春の浦風に立つ波を初花にたとえた)
現在は「麻生の浦大橋(おおのうらおおはし)」がかかり、パールロードの入口となっている。
浦神社は生浦湾に住む漁師さんたちの産土神として代々信仰され、「浦の権現さん」として親しまれている。
明治四十年に滝本社、片枝梨神社、八幡社など近隣の神社を合祀し「浦神社」となった。
7月14日には湾内の漁船が「船参宮」を行う「天王祭」が行われ、
また1月3日には、合祀された八幡社の祭りで、矢を射て豊漁を祈念する「八幡祭」を行う。
主祭神は安曇別之命という女神で、古来お乳の神様として信仰を集めていた。
海辺の岸壁に露出した巨岩を神体とし、その下に社殿を建てて祀っている。
境内には滝があってご神体鎮座の場所とされ、いかな天候でも水が涸れないといわれる。
また拝殿左側には洞くつがあり、清水が湧き出していて古来眼病に効くといわれ「目薬の水」と呼ばれている。
海辺の小さなお社だが、さながら山中の神社のような印象も受ける、印象深い神社。
夕刻の生浦湾。 神社は海岸の道沿いに鎮座している。 |
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境内には奉納の鳥居が立ち並ぶ。 代々の崇敬の篤さがうかがえる。 |
境内の様子。右手に社務所。 | 境内には渓流が流れている。橋を渡ると石段。 |
急な石段。 | 石段の途中、左手に滝がある。 |
石段を上りきると拝殿。その後ろの高台に本殿が鎮座し、 その真上にご神体の巨岩がそそり立つ。 |
見上げると迫力ある。 巨石信仰は原初的信仰といわれるので、 ここへ人が住み始めたころから、 この岩は神として崇められていたのだろうか。 |
鳥羽市国崎町、
神宮鰒調製所のある鎧崎の後背の山に鎮座する。
祭神は潜女神、天目一箇神・猿田彦神。
倭姫命がこの地に巡行されたとき、
倭姫命に鰒(あわび)を奉ったといわれる潜女(かつぎめ。海女のこと)の「お弁」を祀る神社。
お弁は海女の祖といわれ、海女さんは年初めの漁の前には必ずこの神社に参拝し、仕事の無事と大漁を祈願する。
仕事中のめまい防止にも効験があるといわれ、ダイバーなど海に潜ることを仕事もしくは趣味とする人々の参拝もある。
毎年7月1日には例祭が行われ、伊勢神宮より神楽が奉納される。
11月23日には二船祭が行われる。これは若者たちが二艘の船に乗って速さを競い合い、
里谷の船が勝てばボラ、海間谷の船が勝てばイワシが大漁、という占いの神事。
また、1月3日には八幡祭。弓矢を射て、「的を外れれば」豊漁となるらしい。
1月11日には、ボラを手を触れずに調理する真魚箸神事。
いかにも海の神社という感じ。
民家の中にひっそりと鎮座する神社。 | |
拝殿。 | |
本殿。 |
鳥羽市畔蛸町に鎮座。
南鳥羽の的矢港に面した港町・畔蛸の西のはずれ、海岸の高台に鎮座する神社。
「畔蛸」とは変わった地名だが、その由来は、
月夜には蛸が蟹を食べに畔溝まで上ってきていたからとも、
嵐の時には海辺の民家のほうまで魚や蛸が打ち上げられ、畔に蛸が這いまわっていたことからともいう。
そのおかげで、この町ではタコが名物となっている。
漫遊伝説で知られる鎌倉幕府執権、最明寺入道北條時頼公はこの地をおとずれ、
伊勢島やあたこの浜に来てみればいつも変はらぬ面白の松
と歌ったといい、町内の西明寺に立っていたクロマツがそうであったという。
近年まではその二代目が境内に立っており、鳥羽市の天然記念物にも指定されていたが、
マツクイムシの害によって枯死してしまったため、平成16年に伐採された。
畔蛸神社は明治42年、政府の神社合祀政策によって隣町の相差町鎮座の神明神社に合祀されており、
厳密に言えば本殿に神様はいらっしゃらないということになるが、
地元の人々は変わらず旧地においての奉仕を行っている。
神社境内には三つの祠があり、本殿の神明神社、そして恵比寿社、また山の神の祠が鎮座する。
この中で特に知られているのは、本殿右脇に鎮座する山の神の祠にまつわる行事として、
毎年11月7日に行われている「ふくせ」。
これは、当日夕刻、町の人々が山の神の祠に集ってそれぞれのお供えの食べ物を神前に供えていき、
その後2、3歳から中学生までの男子のみが社に集い、暗くなると火を焚き(現在は子供が少なくなったため大人が手伝う)、
その明りの中で神前に供えられていた食べ物をいただいて腹ごしらえをしたのち、
鳥居の両側に立てられていた笹および「大明神山之神〔家内安全 商売繁盛〕」と書いた赤い幡を手にして出ていくと、
町内の各家を一軒一軒廻り、その玄関で笹を激しく上下に振り動かしながら、
ふーくせふくせ 福の神が舞い込んだ 〔その家の生業〕でようけもうけよよ
(*たくさん儲けなさいよ、の意)
と歌い囃し、家の人からお礼をもらっていく、というもの。
「ふくせ」とは、「福を為せ」の意という。
かつては鳥羽の各地で盛んに行われていたが、現在行っているのはここだけという。
詳しくはこちら(三重県インターネット放送局)。
「亥の子」みたいなものだろうか。
山の神様へのお供えである神饌をいただいて山神の力を宿した童子たちが家々を祝福して廻るという、
素朴な民間習俗をよく保存しているといえるだろう。
男子だけで行うのは、
山の神が醜い面相の女神であるため、女人が山に入ると嫉妬して災いを起こす、という民間信仰にもとづくものといわれる。
的矢港。 漁港であり、また真珠・牡蠣・海苔の養殖も行っている。 畔蛸の岩牡蠣は伊勢の神宮にも奉献されているとのことで、その品質の良さがうかがわれる。 新鮮な魚介類が水揚げされ、また近隣に海水浴場もあることから、旅館も多い。 |
港を西に向かうと桜並木があり、 それを抜けたところに神社が鎮座する。 |
畔蛸神社境内。 |
東向き、町の方を向く神明神社。 小さいながらも神明造を模した社殿の中に小祠が収まっている。 ネット上で検索してみると、例祭時には「畔蛸神明神社」「八王子」の幟が立てられているので、 おそらく天照皇大神と五男神三女神を祀っていたのだろう。 「たこ」という地名からの連想か、男性が女性に「多幸」を誓う場所、ともいわれている。 写真には写っていないが、本殿向かって右脇に、山の神の祠が鎮座している。 なぜ撮らなかった。その時は知らなかったのぜ。 ていうかなんでここに来たのか。 志摩から国崎へ向かう途中、たぶん「畔蛸」っていう奇妙な地名に引き寄せられたんだろう。 |
一段低い所に、南、つまり海の方を向いて祀られる恵比寿様の祠。 「えべっさん」と呼ばれている。 漁業と海上安全の守護神。 |
えべっさんからの眺め。 沖に牡蠣や海苔の筏が浮かんでいる。 |
志摩市磯部町恵利原に鎮座。
皇大神宮別宮・伊雑宮から「御幸道」を通って南へ行き、礒部川を渡って右折した先、
礒部川西岸の高台に鎮座する。
明治末に行われた神社合祀政策により、この地方の10の字(あざ)の神社を合祀して創立された神社。
かつては礒部の各地区でその地元の人々によって奉斎されていた神社を、この場所に一括して祀っているということであり、
つまりは礒部の産土神さま大集合、ということになる。
祭神はすべて四十九柱で、
正哉吾勝々速日天忍穂耳尊をはじめとする五男神三女神など。
五男神三女神を祀っているのは、もともと八柱神社(八王子社)だったのだろう。
伊勢地方は牛頭天王信仰が強い地域であって、中世から牛頭天王や八王子が各地に祀られており、
それらは明治の神仏分離において神社であることを選択した時、それぞれ素戔嗚尊と、
天照大神と素戔嗚尊が天安河の誓約(うけひ)で化成した五男神三女神を祀る社となった。
例祭は11月11日で、礒部の地を挙げての大祭りとなり、大変賑わうとのこと。
境内入口。 石垣、鎮守の森ともに堂々たる構え。 |
拝殿前。奥に本殿。礒部の十の字の神々を祀る。 神宮と同じく、唯一神明造。三重県内の神社は、概ね神宮にならって神明造となっている。 |
隣には、遷宮を行うための御敷地がある。 | |
境内に設けられている遥拝所。 向かって左の鳥居が皇大神宮遥拝所、 右の鳥居は神武天皇遥拝所。 神武天皇遥拝とは、橿原神宮遥拝のこと。 |