にっぽんのじんじゃ・ながのけん

これまでに訪れた神社で写真(携帯だけど)に撮ったところー


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穂高神社 深志神社

穂高(ほだか)神社

長野県安曇野市穂高に鎮座。

『延喜式』神名式、信濃国安曇郡二座の一で、名神大の指定を受けている。
古代、天皇家と深い関係をもった海人族で、根拠地である九州筑前から海路を経て全国に拠点を増やしていった、
安曇連(あづみのむらじ)の創祀した神社。
「アヅミ、アツミ、アクミ」などの地名は安曇氏の移り住んだところであるとされるが、
ここは氏族名がそのまま律令制下の郡名になっており、かなりの集団が移り住んでいたことが知れる。
海人族がどうしてこんな内陸の地に移り住むことになったのだろうか。

主祭神は、安曇氏の祖である穂高見命(ほだかみのみこと)。
その父神である綿津見神と、皇孫・瓊瓊杵尊(主祭神のおじに当たる)を配祀する。
古代氏族の系譜資料である『新撰姓氏録』(弘仁六年[815]編)にも、
安曇連(河内国神別・地祇)は「綿積神命の児、穂高見命の後なり」と記されている。
境内摂社の若宮には、いったんは滅びた百済の再興のために百済王の遺児を奉じて朝鮮に出征し、
白村江の戦いで唐・新羅連合軍と戦って戦死した、安曇連比羅夫命(あづみのむらじひらふのみこと)が祀られている。

安曇野市穂高の本宮(里宮)のほか、
松本市安曇の上高地に奥宮、そして奥穂高岳山頂には嶺宮が鎮座しており、
奥穂高岳が穂高見命の降臨地と伝えられている。

早朝の上諏訪駅。 ホームには足湯があります。
中央本線で松本まで行き、
そこから大糸線に乗り換え、穂高駅へ。
電車移動時間はのべ1時間ちょっとで、
あとは松本での乗り換え待ち時間次第。
向かいのホームには、あずさが停まっていた。
駅を出る。東向きなので、朝日がモロ逆光。
穂高神社の大遷宮祭・穂高人形まつりの看板が出ていた。
穂高神社は伊勢の神宮と同じく二十年に一度の大遷宮祭を行っている。
駅前。
山の街、といった空気がする。
レンタサイクルの店が右のほうにあった。
穂高神社は駅の真ん前にあるが、
東向きなので、
正面鳥居に行くにはぐるりと大回りしていかなければ
ならない。
ただ入るだけなら北からも入れるけど、
おそらく一度きりの参拝ならば正面から。
大遷宮祭真っ只中なので、
境内には露店が所狭しと並んでいた。
ただし、まだ早朝なので、
どの露店もシートをかぶっている。
手水舎のところに置かれている、
奉納物の神船。
拝殿前にある、神楽殿。
なにかのイベントが行われるようだ。
拝殿。
大遷宮祭では通常この向こうにある本殿を建て替えるだけなのだが、今回は拝殿も一新したようだ。
こちらは一足先、前年末に竣工している。
銅板葺の屋根もしっかりと銅色で、瑞々しい白木とともに朝日を浴びて光っていた。
朝の空気とあいまって非常にすがすがしい。神社はこうでなくては。
まだ時間が早いので、拝殿の扉は閉まっている。

北を向く。
大きな杉、その向こうに摂社・末社が並ぶ。

杉は「孝養杉」と呼ばれている。
大正年間、ある娘さんが母親の病気平癒祈願のため、
丑三つ時に白装束でお百度参りしたことから
その名がついたそうだ。樹齢は五百年以上。
孝養杉。
まっすぐにぴんと伸びた、堂々たる姿。
若宮社。
安曇氏一族で、
白村江の戦いで戦死した安曇比羅夫を祀る。

相殿神として、信濃中将を祀っている。
彼は『御伽草子』の「ものぐさ太郎」のモデルで、
信濃国司として穂高神社の隆盛に大いに力を貸したという。
境内にある安曇比羅夫の像。
緑の多い境内。
ひっそりと、
先の戦争での戦没者を祀る社が建っている。
若宮社相殿神・信濃中将がもととなった、
「ものぐさ太郎」のレリーフと、
釈迢空の歌碑。
拝殿の扉が開いた。
拝殿の向こう、正面に見える新しい建物が、
穂高見命を祀る中殿。
大遷宮祭によりこのたび造り替えられた。

その向かって右手に、綿津見神を祀る左殿。
向かって左手すぐにご神木があり、
その左に瓊瓊杵尊を祀る右殿。
いちばん左端には、天照大神を祀る神明社がある。
今回造り替えられた中殿は、
もとは右殿が建っているところにあった。
左殿が向かって右へスライド(移築)され、
そこにあった神明社が向かって左大外に移り、
その位置にあった右殿が、もと中殿があったところ、
つまり神木の向かって左隣に移築された。


(遷宮前)
右 殿 中 殿 神 木 左 殿 神明社

            ↓
(遷宮後)
神明社 右 殿 神 木 中 殿 左 殿

こういうことになる。
左殿や右殿は七年に一度遷宮を行い、新しくなる。

左殿・右殿というのはこちらを向いている神様基準での
方向なので、こちらから見るのとは左右が逆になる。
左と右では、左大臣>右大臣のごとく、左のほうが上位。

盆栽展示も。 犀龍に乗った泉小太郎の像。
彼の伝説は、松谷みよ子『龍の子太郎』のモチーフとなった。
南の弓道場・駐車場では「穂高人形まつり」が。
奥は「川中島の戦い」。
平家物語より、那須与一が扇を射る場面。
かぐや姫。 大江山。
露店ホントに多い 境内北側にある、道祖神群。
石神がずらりと並んでいる。
北の広場にも人形が。

これは八幡太郎義家(源義家)が、
のちに後三年の役と呼ばれる戦いに赴く途中、
勿来(なこそ)の関(福島県いわき市)にて散る山桜を見ながら、

吹く風を勿来の関と思へども 道もせに散る山桜かな
 (“勿来=来るなかれ”という名の関であるから
 風も吹いて来まいと思っていても、
 吹く風により、道も一面に山桜が散ってゆくことだ)

と詠む場面。この歌は勅撰の『千載和歌集』に収録されている。
北の広場から社殿裏手の森を見る。
その前には豊臣秀吉、醍醐の花見の場面。
物産展も。
町を上げてのイベントです喃。


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