にっぽんのじんじゃ・しがけん

これまでに訪れた神社で写真(携帯だけど)に撮ったところー


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近江国(滋賀県):

坂田郡(米原市、長浜市の一部、彦根市の一部)

長浜八幡宮 豊国神社 伊夫岐神社

長浜八幡宮。

長浜市宮前町に鎮座。
JR北陸本線・長浜駅の北東で、
北には赤十字病院、南には長浜市役所がある。

琵琶湖北東岸、かつて羽柴秀吉の所領として発展した長浜の鎮守社。
創祀は平安後期の延久元年(1069)、
源氏の棟梁・源義家の発願を受けた後三条天皇の勅によって石清水八幡宮を勧請したと伝えられる。
地元の産土神として崇敬され、かつては社領三千石、一山七十三坊(八幡宮はその成立より仏教的要素が強かった)を数える大きな社だったが、
室町期の度重なる戦乱により衰微、それを長浜城主となった羽柴秀吉が再興した。
祭神は、八幡神たる誉田別尊(応神天皇)に父君の足仲彦尊(仲哀天皇)、母君の息長足姫命(神功皇后)を配祀。

長浜は、もとは「今浜」という名で、戦国期は浅井家の勢力下にあった。
浅井家滅亡後、その所領を与えられた羽柴秀吉は小谷にかわって北国街道沿いのこの地に城を築き、
地名を主君・織田信長の名を一字借りて「長浜」に改名。
小谷から様々な人材や施設を移転させ、楽市楽座制を敷いて城下町の発展をはかった。
長浜町人は秀吉より「町屋敷年貢免除」の朱印状を得、これは明治維新のときまで有効であり、長浜の町は商業に専心し大きく栄えた。
長浜の町人は秀吉に対して大きな感謝と崇敬を寄せており、江戸時代の間、豊国大明神の祭祀が禁じられていた間も、
えびす信仰に隠れてひそかに秀吉を祀っていた。
長浜八幡宮の例祭は一般に「曳山まつり」と呼ばれる日本三大山車祭りのひとつだが、
その発祥も秀吉が男児誕生祝いに長浜の町人に送った砂金をもとにして作り上げたものだという。
町の発展とともに山車は十三基を擁するまでになり、その絢爛さに加え山車の上では子供歌舞伎まで行われる豪華さを誇り、
例祭の一週間は長浜の町が大いに賑わう。

JR長浜駅前。ここから東へ向かう。 アーケード街の中にある、
「海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館」。
ケンシロウと大魔神が門を固める。
この周辺は「黒壁スクエア」と称しており、
ほかにも曳山博物館や黒壁美術館など、
町の歴史を意識した施設が多い一帯。
アーケードを抜ける。
遠くに鳥居が見えてきた
西参道鳥居前。
立派な鳥居、燈篭に狛犬。
社殿正面。
鳥居の向こうに見えるのは拝殿。
その向こうに本殿。
右奥には摂社・高良(こうら)神社。
武内宿禰を祀る。
祭神の仲哀天皇・応神天皇を含め
五代の天皇に仕えた長寿の人物であり、
長寿・ぼけ封じの信仰がある。

写真右外には能舞台がある。

もともと境内には別当寺である新放生寺があったが、
明治の神仏分離によって境内地を分割、
神社境内の仏教施設は破却された。
子院だった舎那院が分割独立し、
新放生寺の仏像祭具等を引き取った。
社殿の裏、川ひとつ隔てたところにある。
真言宗豊山派で、
阿弥陀如来と愛染明王を本尊とする。
二本の松が交わる、縁(えにし)の松。
間をくぐって縁結び。
放生池の中に鎮座する、都久夫須麻(つくぶすま)神社。
琵琶湖に浮かぶ竹生島の都久夫須麻神社を勧請。
祭神は市杵島姫命だが、歴史的に弁才天と習合していたので、
今でも弁才天ののぼりが立っている。
境内にはまだ多くの摂末社が鎮座している。

豊国(ほうこく)神社。

長浜市南呉服町六丁目に鎮座。
長浜駅の北すぐ。裁判所・検察庁の南。

主祭神は豊国大明神。事代主大神、加藤清正、木村重成を配祀。
慶長五年(1600)、前年の京における豊国社の創祀を受けて創祀。
現鎮座地よりはやや東の、長浜八幡宮御旅所の位置に鎮座した。
江戸時代に入ると秀吉信仰が禁止され、社殿は取り壊されてしまうが、
しかし町人は秀吉の神像を運び出すと町年寄の家に隠し、古い八幡宮を移設して恵比須宮とし、表向きは恵比須神(事代主神)を祀る一方、
神像を戻して奥殿でひそかに豊国大明神を祭り続けていた。
秀吉二百五十回忌の弘化三年(1846)には多くの燈篭の寄進があったという。
江戸幕府が倒れると「豊(みのり)神社」と社名変更、明治25年に現在地に遷座。
明治31年の秀吉三百回忌には拝殿が造営されるなど境内の整備が図られ、大正9年には「豊国神社」の社名が復活。
旧社格は県社にまで登った。
豊国大明神、事代主大神をあわせ祀ることから、
立身出世・商売繁盛の神様として信仰を集めている。
地元では「豊国さん」と呼ばれ親しまれており、
長浜町人の秀吉への感謝と崇敬の誠を守り伝えてきた神社といえるだろう。

こぢんまりとしているが、
きれいに清掃された境内。
現社殿は江戸中期のものという。

その歴史から、
「豊国神社」
「長浜恵比須宮」
の標柱が立っている。
一月には十日戎、
十月には豊国まつりで賑わう。

琵琶湖畔の市立長浜城歴史博物館、いわゆる長浜城からの眺め、ほか。

琵琶湖。 伊吹山方面。
賤ヶ岳方面。 サル。
秀吉さんにサルとか禁句じゃなかったですか

伊夫岐(いぶき)神社。

米原市伊吹に鎮座。
伊吹山の南西麓、奥伊吹から流れ下る姉川のほとりにひっそりと鎮まる。

『延喜式』神名式、近江国坂田郡五座の一、伊夫伎神社。小社。
国史初見は『文徳天皇実録』嘉祥三年(850)十月八日条、「近江国伊富岐神に従五位下を授く」という神階授与記事。
その後、『日本三代実録』貞観元年(859)正月二十七日条に従五位上を授かったことが見え、
さらに貞観九年(867)四月二日条には、「神祇大祐正六位上大中臣朝臣常道を遣わし、近江国伊福伎神社に向かいて弓箭鈴鏡を奉る」
という神祇官の大祐を遣わしての神宝奉献記事があり、そして元慶元年(877)十二月二十五日条には、
「近江国正四位下伊富岐神に従三位を授く」
と、一気に二階位ジャンプアップを遂げて従三位に昇っており、これが六国史に見える最後。
延喜式では小社ではあるが、かなりの扱いを受けていたことがわかる。

伊吹山は、近江国と美濃国の境にある伊吹山地の主峰。その南には三関のひとつ、不破関が置かれていた。
記紀には、伊吹山に荒ぶる神がいると聞いた日本武尊が草薙剣を置いて伊吹山に向かったが、
山中で出遭った生物(記では白猪、紀では大蛇)を山神の遣いと思い、それに対して山神を侮蔑する言葉を吐いたため、
実は山神の化身であったその生物は氷雨を降らせて尊を撃ち悩ませ、衰弱した尊はついに大和に還らずして崩じた
(記紀では日本武尊を天皇に準じて扱っており、『常陸国風土記』にも「倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)」と記されている)、
と記されている。
また、京の都を悩ませた「酒呑童子」もその出身は伊吹明神の子・伊吹童子の孫といわれ、
童子の住処は大江山ではなく伊吹山とする異本も残っている。
伊吹山麓には古くから平安期に至るまで強大な勢力(あるいは、恐るべき存在)が住み着いていたことがうかがえるが、
事実、発掘によって四千年前の縄文時代から人々が集落を形成していたこと、
東日本の土器や石棒の出土から、東西交流の地であったことがわかっている。
この石棒は祭祀の場に立てられていたと推定されており、伊吹山麓から集中して発見されていて、
これにより伊吹山に対する信仰は縄文時代には芽生えていたと考えられている。
そして、この神社は伊吹山を遥拝する場として創祀されたものだろう。
古代において神体山はみだりに立ち入るものではなく、遥かに仰ぎ望む存在だった。
山中に社寺が建つようになったのは、修験道の流行以降のこと。

伊吹山は平安時代初期には薬師悔過の修行場として「七高山」のひとつに数えられて山岳修験道の場となり、
『日本三代実録』元慶二年二月十三日条には、
そのような修験僧の一人である三修の創建した寺、伊吹山護国寺を定額寺(官大寺・国分寺に次ぐ国家公認の寺院)に列したという記録がある。
こうして伊吹山は修験道の地として信仰を集め、護国寺の後身である弥高・観音・太平・長尾の四ヶ寺を中心として栄えることとなった。
江戸時代の仏師として名高い円空も、伊吹山太平寺で修行したことが知られている。
伊夫岐神社、そして伊吹山の登山口に鎮座する三之宮神社と四ヶ寺は互いに密接な関係を持って祭礼等を行っており、
山岳信仰を守り伝えてきた。

祭神は伊富岐大神。伊吹山の神を祀る。素戔嗚尊、多多美比古命を配祀。
伊富岐大神がどういう神様なのかについては古来諸説ある。
*『帝王編年記』には、「多多美比古命、是れ謂はゆる夷服(いぶき)岳神なり」とあり、多多美比古命とするもの。
*『伊呂波字類抄』『竹生島縁起』にもとづき「気吹雄命」とするもの
*『日本書紀』により、山神が大蛇の姿をとったというところから八岐大蛇とするもの。
『平家物語』『源平盛衰記』には、素戔嗚尊に害せられた八岐大蛇の御霊は伊吹山の神となって不破の関を塞いでいたという記述があり、
中世にはよく知られた説だったことがわかる。
また伊吹童子は伊吹明神の子だが、伊吹明神の正体は八岐大蛇とされている。
ちなみに中世には、素戔嗚尊に発見された草薙剣はその昔天照大神が伊吹山に落とし、
それを八岐大蛇が飲み込んだものだったという話も作られていた。
いわゆる「中世神話」のカオスな世界は凄まじい。
*その八岐大蛇を斬った素戔嗚尊とするもの。
美濃国不破郡にも「伊富岐神社」が鎮座しており、そちらの伊富岐大神にも諸説上がっている。

水神としての信仰が強かったようで、旱の時には雨乞いの祭礼が盛大に執り行われたという。
早く『日本書紀』にはその神の顕現が大蛇とされ、雲を起こし氷を降らせたという、水神としての面が記されている。
蛇は「みつち」とも言うが、その意味は「水(み)」「の(つ)」「霊(ち)」と、水の神霊をあらわす。

正面に伊吹山。
ごっつ雪。でもタイヤはノーマルターイヤー

伊吹山と姉川。 神社最寄りの道の駅「伊吹の里」。
車はここに停めておく。
一の鳥居?
現在は道路舗装等のせいか、参道は続いてはおらず。
本来の参道は右の上のほうの道っぽい。
昔ながらの住宅地の中を500mほど歩くと神社へ到着。
右斜め前に伊吹山。
簡素な神社だが、伊吹山が神体山なので、とくに豪華な社殿など必要なかったのだろう。

拝殿。
ちゃんと雪かきされています。
本殿両側にはそれぞれ末社が鎮座。
秋葉神社、権現神社とのこと。
神社の一角はブランコや滑り台が設置され児童公園になっている。
神社と伊吹山。


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