これまでに訪れた神社で写真(携帯だけど)に撮ったところー
仁多郡(奥出雲町、安来市広瀬町の一部、雲南市木次町の一部):
『出雲国風土記』仁多郡条には、
仁多と名づけたわけは、天の下をお造りになった大神、大穴持命が詔されるには、
「この国は大きくもなく、小さくもない。川上は木の枝が梢を差し交わし、川下は葦の根が這い渡っている。
これは湿った(にたしき)、こぢんまりとした国だ」
と詔された。ゆえにニタという。
との地名起源伝承が記されている。
この地方は堅くて良質な鉄を産していたことも風土記に記されており、古代から製鉄が盛んで、
明治時代には日本の鉄生産の約6割を生産していた。
伊賀多気神社 | 三澤神社 | *三沢池 | ||||||
大原神社 |
仁多郡奥出雲町横田、
旧横田町中心部の北の山麓に鎮座。
『出雲国風土記』仁多郡の神祇官登録神社二所の一、伊我多気社。
『延喜式』神名式、出雲国仁多郡二座の一、伊我多気神社。
創祀は垂仁天皇御世と伝えられる。
もとは斐伊川のもう少し上流に鎮座していたと伝えられるが、戦国の世に一時廃絶し、天文年間に現在地に遷座再興されたという。
主祭神は五十猛命(いたけるのみこと)で、父神・素戔嗚尊、大己貴命を配祀。
五十猛命は日本列島に木種を播いて日本を緑あふれる地にした神で、
『日本書紀』には「有功之神(いさおしのかみ)」とあり、その偉業がたたえられている。
この地では、八岐大蛇の猛威により丸裸になった山を緑に復したという。
横田の東南、鳥取県との境に聳える船通山は風土記には「鳥上山」といい、
『古事記』にて、高天原を追放された須佐之男命が天下った「出雲国の肥の河上、鳥髪」の地とされる。
すなわちここは素戔嗚尊の八岐大蛇退治にゆかりの深い場所といえる。
この辺りは製鉄が盛んであり、製鉄と蛇との関連はよく指摘されるところ。
ただ、『出雲国風土記』には素戔嗚尊の八岐大蛇退治の記事はなく、
大穴持命が「越の八口」を討った、という記事(意宇郡母理郡、拝志郷条)がそれに該当するのではないかと言われる程度。
『日本書紀』収録の異伝では、八岐大蛇は安芸国の可愛(え)の川上にいたといい、
それを斬った剣は吉備の神部のもとにある、という記事もあって、
本来山陽地方の伝承だったものが出雲での出来事にされたという可能性もなきにしもあらずだが、
現行の『出雲国風土記』は『日本書紀』撰上ののちに成立したものであり、
編修時に書紀の記述との重複を避けたとも考えられる。
県道沿いに一の鳥居があり、それをくぐると境内地が見える。 |
手水舎前から。随神門と拝殿の注連縄が見える。 | 拝殿。 |
本殿。小さいながらも堂々とした大社造。 |
境内社。 | 横田の町を見渡す。 |
仁多郡奥出雲町三沢に鎮座。
三成の町並みから国道432号線を経由して三沢城跡のある要害山方面へ向かい、
そこから北に折れてやや進んだ三沢郵便局の隣。
『出雲国風土記』仁多郡の神祇官登録神社二所の一、三津(三澤)社。
『延喜式』神名式、出雲国仁多郡二座の一、三沢神社。
風土記のほとんどの写本は所在を「三津郷」社名を「三津社」とするが、
『和名抄』では「三澤郷」、『延喜式』では「三澤神社」と記されていることにより、
校訂により「三澤」とされていることが多い。
大己貴命の子、阿遲須枳高日子根命を主祭神とする。
その由来は、『出雲国風土記』仁多郡三津(澤)郷の条に、
三津(澤)の郷。郡役所の西南二十五里。
大神大穴持命の御子、阿遅須伎高日子命(あぢすきたかひこのみこと)は、
そのおひげが長く伸びるほどになっても、昼も夜も泣いておいでで、
言葉も喋れなかった。そのとき、御祖(みおや)の命は、御子を船に乗せて多くの島を連れて巡り、
楽しませようとしたが、なお泣き止むことはなかった。
大神は「御子の泣くわけを教えて下さい」と夢に祈願すると、その夜の夢に御子が口をきくようになったことをご覧になった。
目が覚めて御子に問いかけると、御子は
「御津(みつ)」
と申された。
大神が「どこをそういうのか」とお尋ねになると、御子はすぐに御祖の御前を立ち去り出て行って、
石川を度(わた)り、坂の上に到って立ち止まり、「ここです」と申された。
そのとき、その津の水が湧き出で、その水でお体を清めなさった。
ゆえに、国造が神吉事(かむよごと)を奏上するために朝廷に参向するとき、その水を用いて清めに用いる。
このわけによって、今も妊婦はその村の稲を食べない。もし食べれば、生まれた子は生まれながらにしてすでに物を言う。
ゆえに三津という(〔神亀三年、字を三澤と改めた〕)。ここに官庫がある。
とある伝説。
出雲国造が朝廷に参向して天皇に奏上する『出雲国造神賀詞』には、
彼方(かなた)の石川の度(わたり)、此方(こなた)の石川の度に生い立てる若水間(わかみぬま)の弥(いや)若えに御若え坐し・・・
という句があるが、これは上記の風土記にある泉のことといわれ、若さと活力をあたえる聖なる水と信じられていた。
この泉は、三沢の要害山の山中にある三沢池(刀研池)であるとも、
国道314号線沿いの坂の上にある三津池であるともいう。
阿遲須枳高日子根命は、記紀の光り輝いて天翔ける描写から雷神であるといわれ、
また「スキ(鋤)」という語を含むことから農耕神、製鉄神であるともいわれる。
堅く、様々な道具を作るに適すると風土記に記された鉄の産地、仁多郡の神として相応しい。
主祭神のほかに、大己貴命、素戔嗚尊、志那都比古命、志那都比売命、気長足比売命、別雷命、少彦名命、五十猛命を合祀。
このあたりの中心地みたいなところだったが、山あいの、静かな神社だった。
郵便局の隣に境内入口。 小祠は、事代主社。 |
石段を上る。 枝打ち中なのか、足場が組まれている。 |
拝殿が見えてきた。 |
あっちは社務所か。 道を回り込んで登ってくればここに停められたか。 この時は郵便局でお金を下ろし、急いで上ってきた。 |
石段の途中にある大杉。 |
拝殿。 |
本殿。 | 境内社。 |
ここは何かの用途に使うのだろうか。相撲とか。 | 北のほうに寺院?が見える。 |
三澤神社大杉。 | |
仁多郡奥出雲町河内。(地図は大体の位置)
阿遲須枳高日子根命が水浴びをしたと伝えられ、
出雲国造が『出雲国造神賀詞』を奏上しに京に向かう前に禊をしたと言われるところ。
要害山の山中にある。
この山には14世紀初頭に三沢郷地頭の三沢氏(清和源氏の流れをくむ)によって三沢城が築かれ、三沢氏はここを拠点に勢力を拡大、
仁多郡から大原郡にかけてを支配下に置いて出雲国内でも屈指の勢力となり、尼子氏も軽視できない存在だった。
三沢氏はその後尼子氏に従ったが、毛利氏が台頭してくるとそちらに従い、尼子氏との戦いを経たのち九州、小田原、朝鮮にて戦功を挙げ、
関ヶ原の戦いの後毛利が長州に削封されると、それに従って長州に赴いた。
大手門石垣。 | 大手門をくぐるとすぐ二の丸。 |
右へ進む。 | 蛇出そう。 |
十兵衛担と呼ばれる曲輪。 城主居館跡と伝えられる。 |
水の手口。 |
坂を下ると、あった。 |
三沢池。注連縄が張られている。 | |
池の水。 いちおう飲用には適しているようだが、この日は強風で、いろんなものが入ってたので手を洗うだけにとどめた。 |
仁多郡奥出雲町上阿井に鎮座。
国道432号線から一本西に入った道沿い、阿井川のほとりの山麓。
『出雲国風土記』仁多郡の神祇官未登録神社八所の一、大原社。
大名牟遅命、玉日女命を祀る。
創祀は成務天皇五年と伝えられる。当初は雲崎の地に鎮座、のち和銅二年(709)に神田に遷座。
そして万治三年(1660)に現在の大森山に遷座し、このとき玉日女命を福原から遷座して合祀した。
現在の本殿は安永二年の造営。
『出雲国風土記』仁多郡の山野・河川の条には、玉日女命についての伝承が記されている。
恋山(したひやま)。郡役所の正南二十三里。
古老の言い伝えにいうには、ワニ(サメのこと)が阿伊(あい)の村に坐す神、玉日女命を恋いしたって川をのぼってきた。
そのとき、玉日女命は石をもって川を塞き止めたので、会うことができずに慕っていた。ゆえにシタヒ山という。
この恋山は、『雲陽志』では、
今俗志多布呂山といふ、此山下の川に磐をかそねて峻岨なる淵あり、
是を里民したふるといふ。
と記され、奥出雲町高尾の舌振(したぶる)山のこととされ、
大馬木川に侵食された奇岩の峡谷「鬼の舌震」で知られる。
大馬木川は風土記では「阿伊川」と記されていて、玉日女命はもともとこの流域に坐していたようだ。
現在の大原神社の側を流れる阿井川は、風土記では「阿位(あゐ)川」であり、少し違う。
ただ、広くこの地方で信仰されていた女神であったろう。
ちなみに大馬木川は三成で斐伊川に注ぎ、斐伊川は出雲地方をぐるりと廻って宍道湖に注いでいるが、
古代においてはそのまま出雲を貫通して神門水海(現在の神西湖を中心とする一帯の内海)に注いでいた。
サメはそこから川を上ってきたと思われる。
神社前。鬱蒼とした鎮守の森が聳える。 |
鳥居。 宝暦十年(1760)六月奉納と記される。 |
長い石段。 二の鳥居が見える。 |
鳥居の向こうに、随神門。 | 随神門をくぐると、拝殿が見えてくる。 |
水盤。 文化五年(1808)九月奉納。 |
拝殿前から後方。 |
拝殿と狛犬。 |
本殿。 かなり年季が入った建築も、屋根の葺き替えがしっかりとなされており、堂々としたたたずまい。 |
本殿両側の境内社。 |
だだっ広くて鬱蒼としているのはちょっと怖い | 随神門にはっつけてある大社遷宮ポスター |
阿井川の流れ。 伝説の地ではないが、川辺に住まわれるのは祭神の女神様にはふさわしいというところか。 |
仁多郡奥出雲町八川。
国道314号線、広島県と島根県の県境付近にあるループ線。
区間標高差105mを、二重の円を描いて上下する。
その1。 奥が広島県側。 左手に道の駅、右手に美術館がある。 この写真は展望台から。 左奥を走っているのがJR木次線。 |
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その2。 一回転してトンネルに突っ込む。 |
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その3。 下のトンネルから出てきて2回転めへ。トンネルの意匠はもちろん八岐大蛇。 この写真は歩道から。 |
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最後は、最初に渡った橋の下をくぐる。 |
*出雲坂根駅。
仁多郡奥出雲町八川。
JR木次線の駅。3段スイッチバックがあり、また駅構内に「延命水」と呼ばれる湧水がある。
出雲坂根駅前。 平成22年4月、新駅舎が竣工。 写真を撮ったところは駐車場になっていて、この山奥の無人駅の人気を物語る。 |
時刻表。 うおっすくなっ |
駅のそばの桜の木。 かなり葉桜になっているが、まだ花を咲かせている。 |
ホーム。 |
踏切から。 右が広島県方面で、スイッチバックがある。 左は島根県内方面で、スイッチバックはない。 |
踏切から駅方面。 |
遠景。 むこうにおろちループの橋が見える。 |
遠景2。 |
構内の延命水。 地元の狸がこの湧水を飲んでいて、この地方に古狸が多いことから、 この水が「延命水」と呼ばれるようになった。古くから有名で、広島県からも水を汲みに来る人がいる。 |