東方FSS・その他1


FSSネタ以外。


戻る


その他「妹紅と紅葉」

11月、ページの頭に置いていたもの。
この後キノコ狩りってどういう意味ですk(ry


その他「着替え中?」

拍手絵より。

いったいどういう場面なのか。


その他「Shoot the Bullet!」

拍手絵より。祝・主人公!
しかし年末、行ける可能性は今のところ無に等しい・・・orz


その他「御曹司修行中」

鞍馬山は相当険しい。
参道を歩くだけでも相当きつく、
足滑らせたら下まで転がり落ちそうなところもある。
こんなところで小さいころから武芸の修練を積んだら、
そりゃあメチャ強くなるだろう。
八艘跳びくらい朝飯前。

というわけで、修行中の源家御曹司と文、というイメージ。
顔が赤くなっているのは、疲れたからじゃなくて見えt(風神一扇
もし文と修行していたら、もう「打倒・平家」なんかどうでもよくなってしまう・・・
かも。


その他・「もったいないおばけ誕生」

 「どうしたのあんたたち?
…ふうん、長い間使われてたのに、棄てられちゃったのね。可哀そうに…
最近の人間は、供養もせずに物を棄てちゃって…本当になってないわ。
さあ、あなたたちを付喪神にしたわよ。行きましょう。
あなたたちを棄てた人間どもに一泡吹かせてやろうじゃない。
今宵は、百鬼夜行よ」



 日本人は基本的に保守的で、ものを大事にする。
でも、歴史の転換期になると、それまであった物をきれいさっぱり捨て去って、
新しいものにさっさと適応してしまう。
本当に両極端な変な民族だけど、
その特性ゆえに、これまでの歴史の荒波をうまく渡りきってこれたんだろう。
 『文花帖』によれば、
幻想郷の人間も最近はいろいろと革新的になろうとしているみたいなので、
萃香がやって来てからはこんな場面もあるかも。
刃物捨てた人間は、ただじゃすまないだろう。達者で逝けよ。

 自分も、中学のころの筆箱にまだ筆記用具を入れてるし、
大学に入ったときに贈られた腕時計、これはもう壊れてしまったけど、
どうしても捨てられずにまだ持っている。
物持ちがいいのか、未練がましいのかよくわからない。
 「いらない本は捨てろ!」とよく言われるけれど、
これも身を切る思い。雑誌はともかく、単行本は・・・
今度家の改築で部屋が狭くなり、
かなり手放さないと部屋に収納できなくなった。
本棚からあぶれたコミックの山を何とかせねば・・・
古本屋に売って、どこかの誰かに読んでもらおうか・・・
その選別がまた大変なのだけど。 


「元拍手絵みっつ」

 某仁王剣使いの人ばりの、
ハイテンション・ルナサ。

 背後の楽譜は、W.A.モーツァルトの《レクイエム ニ短調》より、
セクエンツィア「ディエス・イレ(怒りの日)」冒頭、
合唱「ディエス・イレ(怒りの日)」の1stヴァイオリン・パート。

 メルランによれば、彼女は
「ガラスを割るくらいの騒音

を出すそうだけど、これくらいハイテンションだと、
周囲を廃墟にするくらいの騒音を出す、かも。

その日は怒りの日、世界は灰燼に帰さん、
ダヴィデとシビュラの証しのごとくに。
いかなる慄きやあらん、
その時審判者来たりまして
万の事厳かに糾したもう。


ヴァイオリンケースからもまだなにか出てきそう。

文の一発芸。

ハイメガキャノンだったりしても面白い。



「十五夜お月さん」

十五夜お月さん(野口雨情・詩、本居長世・曲)

十五夜お月さん
ご機嫌さん
婆やは お暇とりました

十五夜お月さん
妹は
田舎へ貰られて いきました

十五夜お月さん 母さんに
も一度
わたしは逢ひたいな。

妹紅が親しい家族を亡くしてからいったいどれくらい経っているのだろう。
車持皇子=藤原不比等→妹紅の父?という考察があるので、
それに従えば、もうすぐ家族を亡くして千三百年が経とうとしている
(藤原不比等は720年没)。
彼女は悠久の時を放浪してなお、家族の記憶を心に留めているだろうか。
美しい月夜の晩には、輝夜への恨みとともにでも構わないから、
父母の事を思い出し、泣いていてほしい。

確かに日本の歌人は、
秋という季節がかもし出す深い憂愁に無感動ではいられなかった。
それは、祖先から受け継いできた不思議で漠然とした苦しみの年毎の再現であり、何百万という悲しみの記憶なのだ。
しかしその憂愁を語るときはいつも、
それが真に意味しているのは、別離の悲しみである。
それゆえ、季節の色がうつろい、木の葉が舞い、虫の音が哀哭する秋は、
仏教でいう無常、
つまり死による別離の必然、煩悩の苦しみ、
孤独の悲哀を象徴しているのである。
〜小泉八雲「虫の音楽家」より
(引用:『虫の音楽家』小泉八雲コレクション、池田雅之編訳、ちくま文庫)

背後に慧音さんがいるのは、妹紅ひとりで悲しませるのは嫌だったから。
・・・別に背後から襲いかかろうとしてるわけじゃないですよ?


「水着メルラン」

拍手絵だったもの。

泳ぎでもテンション高そうなメルラン。
テンション高い泳ぎってどんなんだ。

「笹流し」

七夕の笹を川に流す、笹流し。
最近は環境問題で川には流せなくなっている。
もっとも都市部では、江戸時代から禁止令が出ていたようだけど。
これも流し雛のように穢れを水に流すという日本古来の風習に基づいているが、
今ではとんどや左義長のように焼いて処分するのが主流になってるのか。
でも、幻想郷では今も昔のままなんだろう。

とんども地方によってはダメらしい。
ああいうのを見ると「古き良き日本」を実感することができるのに、
それが見られなくなってしまうのは淋しい気がする。

風習といえば、上の乳歯が抜けたらそれを縁の下へ、
下が抜けたら屋根の上へ投げるということ、
平成生まれの少年少女はやったことあるのかな?
とふと思った。

「天国と地獄」

紫「あなたの行き先はどちらかしら?」

「境界を操る程度の能力を持つ紫様」を、
自分のできる限りの能力で真面目に描いてみました。
とはいえ自分の画力はたかが知れてるので、
地獄の情景はハンス・メムリンク『最後の審判の祭壇画』、
天国の情景はジョン・マーティン『天国の平原』
より借り。

紫様は、ヒマな時には天国を覗いて和んだり、
地獄を覗いてほくそえんだりしてるんでしょうか?
地獄では、人がうじゃうじゃ阿鼻叫喚。
面白くて見飽きることはなさそう。
天国は、二本足のみょんな生き物の姿なんか見えなくてきれいすっきり、
こちらも見飽きることがなさそう。
天国のほうに人の姿を入れなかったのは、もちろん
「人間のいるところが天国なわけねーじゃん」
ということで。天国は観光地や歓楽街じゃないし。
でもやはり、紫様が見ていて面白いのは地獄のほう?
百人百様の人間がそれぞれの行いの報いを受けつつ、
泣き、叫び、怯え、逃げ惑い、悶え狂う、
現世のそのまま延長線上の姿が見られるので。

天国に行くには・・・
たとえば仏教なら悟りを開いて仏になれば、
キリスト教なら天使のようになれば(マルコ福音書12章)オーケーか。
レッツチャレンジ。
ゆかりんを下から見ようとする者は、迷わず地獄へ落ちるがよい。
南無。

「森近霖之助(ノーマルこーりん)」

自分の描いたこーりんはいささかネタとしての扱いがひどかったので普通に描いてみたら、
「貴様、霖之助ではないな・・・」
とかコメントいただいて、もはや彼はきれいな体には戻れないのか、と思った。

「ルナサと音撃弦セット」

霖之助「どうだい、その楽器は」
ルナサ「ええ…普通じゃないけど、楽器には違いないみたい。
なんだか攻撃力もありそうだけど。
で、この腕輪は何?」
霖之助「ああ、それを使うと変身できるんだ」
ルナサ「変身?」
霖之助「そう変身。
本人の意思で自由に変身解除できるみたいだから、
特に問題はないよ。
ちょっと変身してみてくれないかな?」
ルナサ「ええ!?私が?」
霖之助「まあいいじゃないか」
ルナサ「(あの目つき…何か企んでそう…)」
霖之助「(話によれば、変身時に衣服は全てはじけ飛び、
慣れないうちは変身解除時に全裸になってしまうらしいな。
今見たいんだよね、君の裸が)」

変身した瞬間、ほとばしる雷撃でこーりん黒焦げ。
ルナサは騒霊でこの姿がデフォなので、
変身解除してもこの姿だと思ふ。
お帰りの際は黒焦げのこーりんに烈雷突き刺して、
存分に清めの音を叩き込んどいて。

「着流し慧音さん」

創想話でいなせな慧音さんの出てくる作品があったので、
ちょっと描いてみたもの。
あんまりイメージどおりにいかなかったけど。






inserted by FC2 system