FSSネタ以外。
「草原の幽々子様、リリー」
タカミン絵茶で写真のような絵を描かれる方を見てると、 自分ごときとは全然違うなあと思ってしまう。 真似しようとしても、これくらいが精一杯。 斜め上からの構図が取れないorz |
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今年の春はとても駆け足だったけど、 来年はもっとゆっくりしていってほしいと思う。 |
「ネットゲーマーてるよ」
拍手絵より。某アンリアルてるよ。 ゲームは一日一時間ですよ。 |
「拍手絵より」
永遠から永遠へ。 | コンパロ、コンパロ・・・ |
「普通に文」
なんかへんな方向にいっちゃいましたが(汗 | ||
「師匠」
シリアス
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鼻血 |
「天狐曼荼羅」(部分)
解説:
中央に雲に乗る九尾の天狐が鎮座、 その足下には赤青の二玉を持ったしもべの猫又を配し、 周囲を十二神将が取り巻いている (この画像では上下が切れている)。 荼吉尼天信仰が稲荷信仰と習合する過程で描かれた、 異形の仏画といえるだろう。 とかいって。 元ネタは大阪市立美術館収蔵の「荼吉尼天曼荼羅図」。 それに描かれている荼吉尼天は、 これも福徳をつかさどる弁財天・聖天と合体した、三面十二臂の異形の姿をしている。 荼吉尼天はもとはインドの女神ダーキニー。 ある部族の大地女神だったが、神話体系に組み込まれると人肉を食らう恐るべき女神になり、 そのまま仏教にも取り入れられて大日如来に調伏される存在となった。 日本に入ってくると稲荷信仰と習合し、 荼吉尼天の乗騎はジャッカルだったが、 それが狐に似ているために稲荷神の乗騎もそのうちに狐になり、 やがて稲荷神よりも狐さまのほうが存在感を増していくことになった。 稲荷神は、白狐に跨った美しい女神の姿であらわされる。 もとは人肉を食う恐るべき存在だったものが人に福徳を与える存在へと変化する、 これはそのまま藍様の半生にも当てはまる、んだろうか?
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「夜蟲」
りぐるーん |
「永琳と輝夜」
――丈夫な人に医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、 罪人を招くためである―― (マルコ福音書2.17) 元絵はカラヴァッジョの代表作『聖マタイの召命』。 一度ローマへ行って本物を見てみたい・・・ 上のイエスの言葉は、彼が取税人マタイの家で食事をしているとき 「罪人や卑しい人々たちと食事をとるのはいかがなものか」 と律法学者達から難癖をつけられた際に発した言葉。 マタイはイエスの弟子になり、のちにマタイ福音書を記した (とされている)。 事情は異なるけれど、永琳もまた罪人の側にとどまった者、 ということで。 |
「笛を吹く妹紅」
笛の音は、強い郷愁を呼び起こす。 浅茅生(あさじふ)や袖に朽ちにし秋の霜忘れぬ夢を吹く嵐かな (源通光、新古今・巻第十六・雑歌上、寄風懐旧) |
「判決即執行」
ある日の出来事。 |
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「リサイタル」
ミスティア・ローレライ・リサイタル。 友情出演:リリカ・プリズムリバー。 裏方:ルナサ&メルラン・プリズムリバー。 ミスティアのへんな歌も、 リリカのベーゼンドルファーの響きで芸術に昇華? ていうかリリカ、伴奏と見せかけて、 次第に自分がミスティアを支配下に置きつつある雰囲気・・・ |